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Visualizzazione dei post da settembre, 2009

Dia 6: La Habana→Toronto→Vancouver 2009-09-20 (domingo)

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今日はキューバを発つ。 飛行機は13時発だが、今さら見るところもないので宿でゆっくりすることにする。 宿には3人のスペイン人(マドリードの警察官)が2週間とかの予定で滞在していたので、朝食時に話をしてすごすことができた。まあ、最後のほうはキューバの生活に不満がありそうな宿の奥さんとスペイン人たちが社会主義政権(スペインもそう)について政治の議論をはじめてしまったので、私は出発の準備にかからざるをえなくなったのだが。 なお、この宿(Luz 115)は120年以上の古さを持ち、天井の高さも5m以上ある。こんなに天井の高い部屋で寝たのははじめてだろう。キューバの家はきれいなタイル張りであることが多いようだが、ここのタイルは特に年季が入っているようだ。アラブ・スペインの伝統がここまで来ているということか。 Baldosas/Azulejos El techo alto La Virgen de Regla 空港までのタクシー代は15cuc(宿の奥さんによると高くて20cucだそうである)。 「今日は20」 「ええっ、今日は20?」 「いや日付が」 「ああ...」 空港では典型的なミスを犯す。 残ったcucを両替してから空港税25cucが必要なことに気づく。 さらに残ったcucを昼食に使おうと思ったが、出国審査後に食べ物の値段が倍になり、サンドウィッチ1つ買えなくなり、cuc が余った上に昼食がお預けに...。 ともあれ無事キューバを出発し、日本へ向かったのだった。 ちなみに、今回cucに両替した現金は300€(約389cuc)。出国時には10€逆換金。 クレジット払いは日本で予約したホテル代(2泊)とバス代のみでした。

Dia 5: Cienfuegos→La Habana 2009-09-19 (sábado)

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朝食前にシエンフエゴスの散歩 値段は対して日本と変わらない。 Cosas importantes en Cuba El Boulvard (Ave. 54) La virgen patriotica (en el Catedral de Nuestra Señora de la Purísima Concepción) → La Habana 朝食後ハバナへバス移動 昼食はハバナのバスターミナルでサンドウィッチ。 その後タクシーで宿の近くまで 今度は10 cuc(1cuc≒¥100) 。やっぱり前回は「悪徳」タクシーだったのね。 宿に着くと申し訳ないが部屋の用意ができていないと言われる。先客が下痢で病院に行き、チェックアウトしていないと。ええっ、それって大丈夫なんですか...。 ともかく街へ出ることに。 旧市街を北上、「フリーマーケット」には個性的な絵が並ぶ。さらに見ておかなければと思った革命博物館へ。5 cuc +カメラ携帯代2 cuc 。しかーし、ここで係員がおつりを1 cuc ごまかそうとしたのである。So much for the revolution...。展示は8割ぐらいがスペイン語だけの説明で、辞書をひくのも面倒なのでさっと流し見。行きのバスでシエンフエゴスの名前は人名から来ているのかもと聞いていたが、確かにシエンフエゴスという革命の闘士がいるようである。 Sr. Bush, et al. (en el Museo de la Revolución) 体力も限界に達し、公園のベンチでしばらく座り込む(後で宿の奥さんに聞いたところでは、9月になって暑くなったそうである)。何とか起き上がってフエルタ要塞へ回ってみると5時で閉館するところだった。翌日(日曜日)は休館とのこと。うーん、地球の歩き方の情報とぜんぜん違うじゃん。まあいいけど。 で、6時を回るまでぶらぶらした後、食事をすることに。7 cuc でカクテル+メイン+アイスクリームというセットメニュー。カクテルは迷わずモヒートにする。この時、1人の老人が声をかけてくる。老人はTony-Kingという音楽家(打楽器奏者)だといい、4年前に日本に行ったこともあるという。彼は飲み物をおごってくれといい、OKすると彼は麦芽飲料(牛乳なしのMiloが缶入りになっているようなもの?)を頼んだ。8時から音楽の生演奏が

Dia 4: Trinidad→Cienfuegos 2009-09-18 (viernes)

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朝食前に散歩。 Una tienda para cubanos 老人が声をかけてきて、上のほうへ行くと広場があるという。 そっちのほうに歩いて行くと3つの十字架がある原っぱに出る。ここがそうなのか? Las tres cruces 男の人が馬で行くツアー3cucはどうだと声をかけてくる。こちらは広場の名前を聞くので話がかみあわない。 朝食後、中央広場(plaza mayor、正確には Plaza Santicima)の近くでまたくだんの老人にあう。3つの十字架の原っぱは違うらしい。老人は滝(cascadas)に行ってみたらという。歩いて1時間半とかかかるらしいので遠慮する。老人の指す方向へ行くと、それらしい広場(Plaza Santa Ana)がある。 Iglesia de Santa Ana Plaza Santicimaに戻っておみやげのシャツを買う。1枚買うだけの予定が、20cuc札を出すと売り子のおばさんになんだかんだ言われて、布袋とシャツ2枚を買うことになってしまった(合計21cuc)。 歩いていると声をかけられる。最初は馬のツアー、滝に行くという。20cuc とか。でも5時間かかるんじゃダメというと、時間は短くできるという。さらに歩くと別の人に声をかけられる。そこで6cucでビール込みで食事ができるとのこと。しかしまだ10時過ぎである。 それから歴史博物館へ行くと、午後3時まで休館だという。ええ?午後3時ってバスの時間じゃん。4時間も散歩で時間をつぶせないので、馬で滝に行くことを考える。最初の3cucのお兄さんがいた原っぱへ行ってみるが、お兄さんはいない。中央広場のほうに戻るとまたさっきの食事の呼び込みの人に声をかけられる。ついでに馬のツアーについて聞いてみると20cucでやっているという。まあいいかということで申し込む。 そのまま行ってしまうと帰りが午後になるので、民宿に声をかけておこうと民宿に一度戻る。呼び込みのお兄さん(アンドレ)は民宿のおかみさん(アニタ)の知り合いだがだまっていてくれという。「わかるとコミッションを要求されるから」(はあ?〔20cucの要求が高すぎるからじゃないのか、と後で考えた〕)民宿は人が出払っているようで、ノックしても反応がなかった。 そのあと一緒に行くはずのフランス人だかの旅行客をしばらく待つ。昨日飲み過ぎで今朝食を食べ

Dia 3: Trinidad 2009-09-17 (jueves)

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キューバ中部の街トリニダー(やはり世界遺産)行きのバスに乗るべく、7時半にホテルをチェックアウト、タクシーでバスターミナルへ。タクシーの言い値(キューバのタクシーにはメーターがない)は15cuc。ターミナルへ着くと運転手が20cuc札のおつりがないという。 「みんなおつりを欲しがるからおつりがないんだ」 「でもそれはあなたの問題でしょ。....(考え中)... じゃ、ターミナルで両替してもらいましょ。」 あやうく5cuc損するところだった(本当におつりを持っていないのか怪しいものだが。もうけそこなったな、おっさん...)。 バスは8:15発、5時間半の長旅である(Viazulバス:切符はネット上で購入済み)。 El autobús chinesco Hora de descanso Un autobús (muy) viejo Una playa vista de la ventana 隣に座っていたのは年配の(60代なので他の国なら引退しているかもしれない)キューバ人男性で、衛生安全管理の仕事をしており、しばしば出張があるらしい。トリニダーの手前にあるシエンフエゴスという都市に住んでいるという。90年より前にはシエンフエゴスの近くに原発建設計画があり、経済も潤っていたが、ソ連の崩壊とともに計画もなくなり、経済もうまくいっていないとのこと。米国の経済封鎖があっても他の国と貿易すればよいのでは?と訊くと、キューバと取引をする企業には米国が圧力をかけるらしい。キューバの町を見ると自動車を始めいろいろなものが入ってきており、一定の交易はあるようだが、やはり米国の経済封鎖はきついようだ。中南米には社会主義政権が勃興しており、中国とかとも交易はできるはずなんですけどね。今回の欧米の経済危機を含め、世界の経済情勢はキューバにも大きく影響するため、キューバ人は毎日経済のことを話しているという。 また、世界にはまだまだ問題があると彼は指摘した。例えばホンジュラスの(リベラルな)大統領は帰国できないではないか。(この件について裏で米国が何をしているかは定かではないが)確かに従来の中南米政治のパターンをひきずっているように思える。以前の話だと、キューバはアンゴラ内戦に介入していた(寡聞にして私は知らなかった)。彼は(概ねキューバ社会主義の観点から)歴史や世界情勢についていろいろ話してく

Dia 2: Viñales 2009-09-16 (miércoles)

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早朝7:30出発のバスツアーでビニャーレス(世界遺産)へ。 (ツアー会社名はTransgaviataだが、ツアーデスクが手配するので気にする必要はないようだ。) 最初は1人だけだったが、ホテルを回って12人ぐらいに。3時間ぐらいひたすらハイウェイを西へ走る。 (ピナール・デル・リオの町で?)タバコ工場見学(カメラ持ち込みは禁止)の後、ビニャーレスに着くと特異な地形が見えてくる。 最初の見物は「前史時代を描いた壁画」。 有名な画家の人が(地元の人と)描いたらしい。 ビニャーレスの「町」で少しぶらぶらした後、洞窟見物。ボートで洞窟を巡る。 Un hombre con una caña de azúcar y un exprimidor Gira en bote en la cueva その後、昼食。昼食後、見晴らしのいい場所によって休憩した後、ハバナへ戻る、というツアー。 La comida comunal 私の他のツアー客は、7人がセルビアの病院関係、2人がアイルランドからの老夫婦、他にスペイン人観光客といった構成。 私の隣に座って走るバスからビデオをとりまくっていたのは、セルビア人の女医さんだった。私は去年クロアチアへ旅行する前、セルビア・クロアチア語は勉強したのだが、1年経つとなさけないことにほとんど何も思い出せない、リンゴは jabuka ...うう。 しかし、旅行の2日前に買った iPhone に入れたスペイン語の旅行会話集は「各国語→スペイン語」というすぐれもので、セルビア語もそこに入っていたので、彼女に見せた。私もここにおよんでセルビア・クロアチア語の基本を思い出した...。 とはいってもセルビア語で会話するほどセルビア語が達者ではない :-) ので、英語でいろいろ話をした。 セルビア人にとって、あの戦争は一方的な喪失であったようだ。「あんなに仲良くしていたはずの」人々が独立を宣言し、戦禍を引き起こした上、NATOに空爆までされ、国家は分断してしまった...。 最後のほうになって彼女はある陰謀説に言及し始めた。それは(ユーゴスラビアで始まった)第1次世界大戦に破れたドイツが莫大な賠償金を課せられ一方的な喪失感を募らせた時に台頭したナチスが利用したあの陰謀説と同根のものと思われた。ヨーロッパの亡霊は徘徊しつづけるということか...。彼女は「自分はパラノイアじ

Dia 1: La Habana 2009-09-15 (martes)

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バンクーバーからトロントを経由(2機中泊)して、ハバナに到着。 空港は豚インフルを警戒して厳戒態勢(職員は皆マスクをしており、〔効果のない〕誓約書とか提出させられる)。 3グループで市内までタクシーの相乗りすることに。 運転手さんから市内まで25 cuc (兌換ペソ:1cuc≒¥100) とのオファー。 「高くない?」(※この時点で相場をオーバー...) 車内で情報交換し、市内に着いて1人が降りた後、私のホテルに着いたところで清算してしまおうと40cuc札を渡すと、運転手さんがホテルを3つ回ったから40cucでと言い出す。言い争うも結局35cucを支払うことに。キューバ滞在中度々繰り返されるcuc をめぐる攻防のはじまりだった。 ホテルは Hotetur Deauville 、旧市街の北側海岸(マレコン通り)沿いにある(1泊約2500円・ネットで予約)。オーシャンビューのロケーションはすばらしい。しかし、周囲の建物は廃墟あるいは修復中で近くにホテルやお店がない。 到着後すぐホテル内のツアーデスクで、ビニャーレスというところに行くバスツアーを予約。55cuc(カードだとUS$がからむので68cucになると言われ、以降キューバではカードを使わないことに〔本当に常にUS$が絡むのかどうかは不明〕)。 その後、少し街歩き。 Parque Central‎ の屋台で氷水(granizada: 1cuc)を頼み、2cucを渡すとおつりがすぐに来ない(言わないとおつりを出さないのね)。 Parque Central‎からオープントップの2階建てバス(3cuc)で市内見物。このバスは新市街を含めて大方の場所を走ってくれるのでお薦め。 バスに乗っている間に、土曜日の宿(casa particular = 民宿)を探さないといけないことに気づき、 某ブログ で紹介されていたあたりに向かう。目的のLuz通りあたりはちょっとしたスラム街にも見える。紹介されていた109番地には何の印もない。向かいの託児所っぽいところで尋ねると、たしかにこのあたりには民宿が多いという。さらに109番地から出てきた少女に尋ねると、2階と3階の家が民宿だという。2階でベルを鳴らすと返事がない。通りかかった若い男の子に尋ねると、3階の家に問い合わせてくれた。 「キューバは初めて?美しいだろ?」 彼は(ちょっとしたス

Day 0: Vancouver 2009-09-14

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キューバへ行く途中でバンクーバーに寄りました。ナイアガラ以外でカナダへ行くのは初めてです。 印象は「香港の道路を広げてこぎれいにしたようなところ」といったところでしょうか。 (考えてみると香港とバンクーバーはいろいろ共通点があります。) お昼は空港の Tim Hortons の soup combo、夜はギリシャ料理(ファストフード)店でチキンサラダ(ヨーグルトとニンニクが入っている)のラップを食べました。